株式会社サンプロ 2020年入社 ムラマツさん

・地域:東京都→長野県
・前職:グラフィックデザイナー
・現職:グラフィックデザイナー

今回お話を伺ったのは、東京でグラフィックデザイナーとして働いていたムラマツさん。
高校卒業と同時に地元・長野県を離れ、夢だったグラフィックデザイナーとして職に就くも、自身の描く「働き方」とかけ離れた環境に苦悩し、行きついた先にたどり着いた「本当に働きたい会社」と「ワークライフバランス」とは・・・!?
職種は変えずに環境が変わることで得たものや、今後のキャリアイメージについてもお話いただいた。


自分のできることは限りなく狭い
そんな自分が見つけた仕事がデザイナーだった

————— まずは、グラフィックデザイナーを志したきっかけを教えてください。

地元は辺境の地・ガラパゴスと言われている長野県の信州新町という何もない町で生まれ育ったんですが(笑)、子供のころから小さいものを作ったり、絵を描いたりばっかりしているような子供で。勉強もできないし、運動もできないし、友達もいない。
なので、12・13才位から自分のできることは限りなく狭いと気づいていて。中学生の時にはデザイナーになろうと考えて、高校卒業後にプロダクトデザイン科のある東京の専門学校へ行きました。

————— ものづくりの職人や絵描きではなく、なぜデザイナーを目指したんですか?

本当に消極的な子供だったんですけど、当時から絵はコンクールとかで十何回受賞したことがあったので「これならいけるな」と思ったんです。ただ、絵描きは仕事にはできないだろなと思っていて。うち裕福じゃないですし(笑)。で、絵とかものをつくったりする延長線上に、職に一番近くて仕事にできることは何だろうと考えた時に「デザインだな」となって。中学生の時にはデザイナーになろうと考えました。

————— 中学生で進路を決めているってとても早いですね!

周りはまだ「プロ野球選手になる!」とか言っていましたが、自分は現実的だったんでしょうね。中学で将来のなりたいものが決まっていたので、高校は音楽でもやって遊ぼうと思ってバンドを組んだりして遊んでいました。

雄大な自然が広がる信州新町。生まれてから高校卒業までずっとこの町で暮らしていた。

社会はもっと自由なはずだから
自分らしく働きたい

—————デザイナーという職種の中でグラフィックデザイナーに決めた理由はありますか?

専門学校で学んだのがプロダクトなので立体のデザインが主でしたが、その発表ではプレゼンボードを必ず作る必要があってイラストレーターで作っていたんです。で、意外と楽しいなと思って。自分で独学で学んでいって、卒業までにはだいたいの使い方がわかるようになっていて。それを活かせる職がいいなと思い、学校へ求人が来ていたグラフィックデザイナーに応募して進んでいった感じです。
そもそもプロダクトデザイナーの募集って本当になくて、家具職人も面白そうだとも思ったんですけど体育会系の最たるものだったのでやめました(笑)。

—————新卒で入社した会社ではどんなことをしていたんですか?

会社自体はアパレルのメーカーで、そこのグラフィックデザイン担当でした。
ただ、体質に合わず2週間で辞めました…。

—————…2週間!?何があったんですか?

昭和初期というか、体育会系というか、常に怒号が飛び交っているような職場で…。
入社して3日目くらいに先輩が2人揃って辞めますと言いはじめ、「お?」と思っていたら自分も大丈夫じゃなくて。体育会系の会社は自分には合わないということがわかり辞めました。

—————なるほど。とても早い決断でしたね。

実は中学が野球部だったのでゴリゴリの体育会系で、本当に嫌でしたがそのころは耐えなきゃいけないことなんだと思っていて、強いられているというか、通らなくてはならない道だと思い込んでいたんです。ただ、高校や専門で、社会はもっと自由だと気づいて。特に専門の先生や講師がデザイン科なんでめちゃくちゃな人がいっぱいいて、そういう人たちを見てもっと好きに生きていいんだ、これは試練じゃない!と思って決断しました。

生きていくために必要なお金を稼ぐため
再出発するも続く受難

—————1社目を辞めたあとどうしたんですか?

辞めてすぐ1週間くらい小田原の友達の家に逃げました(笑)。でも帰ってきたあとさすがに働かないと生活ができないので、当時住んでいた江戸川区の郵便物の仕分け作業のバイトをしたんですが、1週間くらいで腰を悪くしてしまい。そこから「自分には何もできないのか?」って病んで(笑)。それでも生きていくためにはお金が必要で病んでる場合じゃないぞ!と。そこでまたグラフィックデザインのもっとまともなところはないかと探し始めました。

—————2社目も同じ職種で探したんですね。

職種はそれ以外考えていませんでした。ただ、時期も悪いし中途で雇われるような職歴もないのでデザインのアルバイトで募集していた会社にフルタイムのバイトとして働き始めました。
そしたら1ヵ月くらい経ったころ正社員のお話をいただき、退職した先輩のあとを継いで気づけばその部署のリーダーになっていました。

—————バイトからスピード出世ですね!

必然的にでしたが(笑)。会社自体は小さい会社で、電子カタログやシステムのUI・ロゴのデザインが主な仕事でした。仕事自体も嫌ではなく、社風も自由でお給料もよかったんですが、残業や休日出勤が続き、お給料も言わないと支払われないことに自分の中での会社の信用を失い、2年目にはもう終わりのない日々にまた病みかけていました…(笑)。

—————それは大変でしたね。

そうですね。あとワークライフバランスがめちゃくちゃになってしまったこともつらくて。プライベートの時間は削られ、決められた休日にちゃんと休日として過ごすことができない。部屋の掃除や料理をしたりとか、「丁寧な暮らし」「豊かな暮らし」がしたかった自分の姿とどんどんかけ離れていっていました。
会社のことを考えて悩みましたが、最終的にはフリーランスになって会社の仕事を請け負うカタチで働き方を変えていきました。

フリーランスとして
Uターンで地元に戻り再々出発へ!

—————フリーに転身してお仕事は順調でしたか?

前職からの依頼やクラウドソーシングで受けた仕事で、お金の面で困ることはなかったです。ただ、フリーランスで1年ちょっとやっているうちに、別に東京にいる必要はないなと感じて、地元というか長野県が好きだったので戻ることにしました。
そもそもデザインの仕事がないと思っていたから東京に行っていただけで、人が多い都会はそんなに好きなわけではなかったんです。

—————確かに職業柄、お仕事の依頼さえあれば場所は関係ないですもんね。

しかもそのタイミングで信州新町にやっと光回線が通ったんです!それなら大丈夫だと地元へ帰りました。でも帰ってみると意外と実家では作業が捗らず。だから毎日車で30分かけて市街地のタリーズへ行って仕事をしていました。

—————そうなんですね。でもなぜまた会社へ就職しようと思ったんですか?

仕事が減ったというのが大きいです。主に受けていた前の会社が業績不振になって仕事が回ってこなくなり、でも自分で営業をして仕事をとりにいくのは苦手なので、もう一回就職するか!というのと、どちらかというとこれまでひどい会社しか入ってなかったので、まともな会社に入ってみたい、優しくされたいと思って正社員で探しました(笑)。

—————ムラマツさんの思う「まともな会社」というのはどんな会社ですか?

・社員を守る規則がある
・将来性がある
・尊敬できる人がいる
これが経験してきた中で自分が思う理想の会社です!

—————その理想の軸だけでなく、長野県でグラフィックデザイナーという職種で探すのは大変ではなかったですか?

とりあえず地元から近い長野市周辺を中心に探していましが案の定全然なくて。しかもビックリするくらい給料が低い。ひどいところでは16万円とか…。
でも探していくと「株式会社サンプロ」を見つけたんです。
ホームページを見たらしっかりしていそうだし組織の規模も大きいし。こういう会社に入ってみたい、ちゃんとした会社に入ってみたいと思って受けました。

サンプロで感じる
やりがいとワークライフバランス

—————サンプロへの転職にあたり、まともな会社で働きたいという夢は叶いましたか?

ちょうど入社させてもらい3年目がスタートしたところですが、それはもう概ね叶っていると思います。しかもちゃんとした大人がいて、それぞれの部署がちゃんと機能している時点で感動です。お給料もきちんと支払われるので、そんなことあるんだってビックリです(笑)!
会社の将来性の面でも、続々と新しい発表がされるので面白いなと思います。

—————現在は主にどんな仕事を担当しているんですか?

サンプロは新築・リフォーム・不動産をメインにした会社なんですが、そこでインハウスデザイナーとして働いています。自分は主に新築を担当し、チラシやDM、パンフレットの制作などをしています。
仕事は一通り楽しいですが、関わった他の部署の人から評価されたり認められた時は特にやったかいがあったなと思います。やっぱり感謝されると嬉しいしやりがいを感じます。

チラシやDMは毎回同じデザインにならないようアイディアを創出しながら制作している。

—————ワークライフバランスはどうですか?

仕事は忙しいですが生活のラインは保たれている気がします。今は実家を出て暮らしているので、早く帰れる日は次の日のお弁当を用意したりとか、家事全般も苦ではないので自分の思う暮らしはできています。休日は最近飼いだしたモルモット3匹のお世話をしたり、音楽を聞いたり、映画を見たり。
あと東京の暮らしと全く違うのが車生活になったところなんですが、車が好きで運転も好きなのでしょっちゅう出かけています。個人的には東京の生活よりこういう車生活の方が楽しいですね。

—————東京よりも生まれ育った長野での生活スタイルの方が体に合っているんですね。

そうだと思います。東京だと何かと電車の時間だったりあると思うんですけどこっちだとないですし。時間を気にせずに過ごせるのはいいなって感じます。あとやっぱりあんまり人がいないのは最高ですね。

モンスターばかりの会社で
得たものと芽生えた野望

—————そういえば、尊敬できる人がいることも転職の軸にされていましたがいかがですか?

サンプロではスタッフのことをモンスターと表現しているんですが、みなさん尊敬できるモンスターばかりです!近しいところだと、自分のいる部署を総括している上司は刺激的で人を屈服させる力のある魔王みたいな方なんですが(笑)、一本筋が通っていて自分はできないことをやってのけるので心強く尊敬しています。魔王の配下の部署なので、もしかすると他の部署から見ると魔属性の魔族たちだと思われているかもしれませんが、そんな個性も尊重しあえる素晴らしい方たちばかりです。

魔王(笑)による部署の研修では、ブレストしながらクリエイティブへの理解を深めていく。

—————楽しそうな会社ですね。最後に今後のキャリアプランを教えてください。

今は周りからの刺激があって、吸収できるものがあって、成長できる環境があるので、さらに学びを深めていきたいと思っています。これまでひたすら独学だったので、やっぱりそういう環境があるのはいいですね。
そして最終的にはデザイン事務所として法人を立ち上げたいなと思っています。デザイナーって寿命が短いと思うんです。じじいのデザイナーを見たことがないからだと思うんですけど、みんなデザイナーからディレクターに回ってプロデューサーになって行く。でも唯一自分でも手を動かしてやっているのは自分のデザイン事務所を持っている人くらいなので、ほんと人数は少なくていいんですけど、年をとっても自分で手を動かしたいなと思っているのでそんな風に考えています。

—————そんな野望があるんですね!

そういう考え方も受け入れて後押ししてくれる社風があるおかげです。もっとしっかり考えていかなくちゃって思っているところですが、ゆくゆくはそうなれたらいいなと思います。